南國のばら作り、あれこれ 7月

パーフェクタよ

 コルデス パーフェクタ。 ちっとも咲かせきれないのに何故かこだわっている。もう10年ほど前か、東京八重洲口で開かれた全国展のわきで開かれていた東北のばら展の中でエラく筒のあがったパーフェクタを見て度肝を抜かれたものである。先輩の話によると、「すごいね、でも色がいまいちかな」ということだった。

 その頃はまだ、ほんのかけ出しの新米で、ただあきれ驚いて帰って来たものだが、写真にも残さず残念なことをしてしまった。日本列島北南の緯度の違いでかくも花の型が変わり得るのかつくづく思い同時にばら審査の難しさを思った。ちょうどその翌年、わが家の露地で育てていたパーフェクタに腰を抜かさんばかりの凄いのが咲いたので、大先輩の釜瀬さんにその感動を伝えた事がある。しかし、その樹は花が終わってよく見ると、根元が皮一枚になっていて情けないことにそれっきりでサヨナラになってしまった。 カミキリ虫のせいである。たった一本の木しかなかったので涙が出た。ことによると最後の見せ場を作って一生懸命咲いたのだろうが、この感動はいまも眼に焼きついている。なんとかしてこの花を再現させたい。このこだわりはそれ以来ずっと続いているが実現しない。

 そういうと、最近は全国展でもまったく出品されなくなった。去年の北海道展では期待していたがなかった。なぜだろう。それを過去にパーフェクタで勇名をはせた先輩方に尋ねてみたいのだが紙上でもよいので御教示願いたいものである。

 パーフェクタを思うとき決まって頭に浮かぶのは緯度の関係、気象気候条件である。宇部ばら会の故原田一雄氏はヨーロッパに行くと1等花がそこかしこにいっぱい咲き乱れているよと言っておられた。だから、日本ではこの気候に合っていないのだということになるのだろうが、じゃあ一昔前ふた昔前はそういう気候だったことになるのか。そんな馬鹿なことがあるわけがないが、そこのところがよくわからないのだ。接木に接木でパーフェ クタの血がだんだんうすくなっていくとでもいうのだろうか。

 九州では良く咲かないというが、故原田敏行会長は得意とされていたと言うではないか。そこで、文明の利器エアコンの登場となる。エアコンはまだいまのところではコストがかかり過ぎて、切花には使われていないようだが、ランのように高価で面積もさして取らないものには結構使われているらしい。ばらも5株くらいなら一坪でいいから育てられるという人もこれからは出てくるかもしれない。

 コルデスの作出したドイツの気候がどんなものか行ったこともないので温度湿度日照量をどう調理するか、肥料は土壌条件はとわからないことばかりだが、試行錯誤しているうちに最適条件が見つかるはずだ。夜温は10度くらいに落とそう。最高温度は25度くらいでどうだろう。朝日のあたる直前に相対湿度85%程度を約1時間持続させ、それから後は湿度40〜50%でどうだろう。光線は適度のスクリーンをかけてビニールフィルムは適材を選ぶ。ガクがおりはじめたら最高温度は20度以下に落とし、ゆっくりゆっくりと楽しみながら花弁を十分に伸ばす。弁数は花型を失しない程度に適度に保つ。35弁くらいでどうだ。 しかし弁数までコントロールは出来るものか。肥料は適当な時期にだけ供給できるように鉢がいいかもしれない。

 このようにして最高の条件をつかむことにより、それはそれは凄味のきいたパーフェクタが必ず咲くということに相成る。

 私は年を取ると実生の世界もいいが、限定版エアコンの世界にも足を踏み入れてばらの品種ごとの栽培ノウハウを確立させて、こうすれば必ずこう咲くといった普遍性再現性のあるデータを作り、後世に残して世を去るのも格好のよいことじゃないかと思っている。

〈H.11.2.10記>

ハウスと露地とセミ露地と

 もう十五年前にもなろうか、そのころ私は大牟田に住んでいたので大牟田ばら会に所属しており、ばら会というと地域単位で存在するのでそこしか所属できないと思っていた井の中の蛙で、私が初めて福岡玉屋での福岡ばら展を見に行ったときのばらの美を見せつけられたショックはそれは大変なものだった。

 それまでは幾種類持っているかが趣味としての私の自慢だったものが、そんなことは全然意味のない事のように思え、一本のばらの美、それだけで事足りるんだと極端にまで洗脳されて帰ってきたことをいまでもはっきりと覚えている。

 もちろん会場を3時間や4時間は周囲を徘徊していただ ろう。そのときに声がかからなければ福岡ばら会にも入会するチャンスがなかったかもしれい。それ以来、福岡ばら会の例会の常連として月一回の催しが待ち遠しくて毎回出席の模範生だったが、これなどずいぶん昔のことになってしまった。

 当時の私の栽培はもちろん完全な露地で、ビニールの蔽いなどするわけがなく、花の時期になると、雨が降らないようにお祈りする以外にない状況が続いた。3年ぐらい経過したろうか。せっかく丹精したばらが開花時期に土砂降りの雨に見舞われてメチャメチャにされてしまってからもうガマンができず、ハウスの購入を思い立ったわけである。

 もともと頭の構造が浅薄なものだから、花の高さを考慮する事もせずに野菜栽培用の天井の高さが2.5メートル、面積が60平方メートルくらいのものを手に入れた。しばらくはコンテスト花だけここに作り、他は従来通り露地での栽培である。

 ハウスもこのくらいの面積だとビニールの蔽いをしたり、外したりは楽であるが、もう少し栽培の規模を大きくしようとなるとそれができなくなる。もともと私は不精者で不器用ときているのでいったんビニールを被せると台風に吹き飛ばされるまでそのままにしておくタイプであるから、台風にも耐えれる作りをしようとするともう本格的なビニール栽培ということになってしまう。

 ハウスの温度管理はいくら注意深くやったとしても、露地よりも2度から5度は高く特に私の設備は屋根に換気の設備がないので、夏などは毎日40度を超えてしまう。花弁を大きく伸ばさなければケンカ花としてコンテストには勝てないとすれば、非常に不利なコンデションであることは間違いない。ハウスは一般に花揃いは抜群によい。メルヘンケーニギンやコンフィダンス、シージャッ ク (略して私はコンシーと呼んでいるが)の類は葉がデリケートのために露地では風がひどいところではなかなかうまくいかないようである。しかし、ガーデンパーティ、マダムビオレ、アルテス'75、丹頂、いざよい、ディオールなどは小さかったり色がまったく出なかったりで、これらは露地にはとても太刀打ちできない。いつも話題になりがちなのは1輪花でハウス花が勝てるかということである。

 ここでのハウスとはズーッと蔽いを外さない状態の設備であり、露地とは開花2〜3週間前あたりからビニールをかけるいわゆるせみ露地の状態も含むようだが、話題を九州に限ってみると、今のところでは実績的にコンシーのよいのが来たら露地は勝てないだろうし、露地のガーパーで一発花が来るとさすがのコンシーも勝てないだろう。香久山はどうか。これはいまのところ、ハウスでもO氏、F氏の言では色が出ると言われる。あけぼのはどちらともいえない。この花はどうも審査員の美的感覚に随分差異が出てきており、A氏は満点でも、B氏、C氏は中ぐらいの採点しかならない事もあるようで、そのときの運とでもいうものがあるようだ。みわくはどうとも言えないようだ。メルヘンはハウスでは無駄花の少ないことでは抜群の出来だが、1輪花ということになるとこれは決定的なほど迫力を欠くことになる。一昨年だったか千葉の方が九州ではとても考えられない花を出品されていて感動したが、露地だといけるのだろう。処で今年、春に一念発起して露地またはセミ露地栽培への志向を試みた事は「フレーフレーネニサンソ」の項で紹介した通りであるが、どちらか言うと色の出ない品種を露地で咲かせたかった動機が大きい。丹頂、アルテス'75、ダブルデライト、ガーデンパーティは、どうもビニールやシックスライトでは発色しないようなのだ。被覆の材質が問題なのかもしれないのだが。他にもビオレ、ディオールは花が大きくならないし、ハイネスも顔を立ててやりたいし。

 個展をやる以上、せっかく友人が見に来ても色の出ない丹頂、花の小さいディオールでは品種だけで出品していても恥かしいからだ。

 こうして書いているうちに段々わからなくなっているのは、その土地のもっている性質がどうなのかということである。私のハウスの香久山は全然大きくならないが、柳川のHさんのは化け物のようにステムが立ち上がっている。そこでHさんの穂で新苗を露地に移してみたが今年の出来もハウスと似たり寄ったりなのである。逆に武州やみわくとなると、どうもよそのよりうちのが元気がいいらしい。だからいま一番興味があるのは今年から来年にかけてガーデンパーティを新植でなく移植で露地に移そうとしているが、これがどうなるかである。栽培技術のなんのと言うが、一般的な消毒はどうの、剪定はどうのはいいが、その他は土によって大半は決まってしまうと言うところなのかもしれない。実はこのあたりで先輩諸氏の御登場が待たれるのであるが、ああ言えばこう、こう言えばああで、このばら道というもの、なかなか面白いのである。

〈H.11.2.11記〉


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