南國のばら作り、あれこれ 8月

武州にて初恋実る その2

 拙文5月号「武州にて初恋実る」 の後日談であるが、彼らの接木の位置が高すぎたために、春の剪定では通常、切り捨て御免とするところであるが、せっかく接木したものを剪定してお払い箱にするのがあまりにも残酷で、未練がましくなったため、ほとんどそのまま咲かせてしまったものである。花は春というのに、はるか頭上に咲いていて、とても花を楽しむどころではなかったが、花としてはまあまあの出来であった。

 ではいつになったら、きれいさっぱりさよなら出来るか。2階のベランダからでなければ観賞できないというのをしばらくはガマンするにしても、そういつまでも同じステムから花が見れるわけではなかろうし、結局のところ、あまりにも高すぎた接木の部位に反省しながら、別れを告げることになる。「紫野」に接いだ「初恋」などは160cmのところの接いだ位置のすぐ上から春の花を見るものだから大変だ。だから、もし皆さんがこの実験をしてみようと思われるのなら、くれぐれも低いところで接木されるように御忠告申し上げる次第である。

 これは蛇足であるが、何故、こういう腹接ぎの手法がうまくいくのかについては接木のテープにパラフィンテープが出現してから以降のことだと思っている。接合部や接ぎ穂の頂部をヤケドした患部と同じようにぐるぐる巻きにして、蒸発を徹底的に抑制しても、発芽する葉柄の付け根からもテープに圧迫されることなく、新芽が吹き出してくるから便利である。別名をアメリカンテープといい、JAの店舗に行けばどこにでもある。1巻が 1,000円くらいだから、是非常備されては如何。

 さて、次に春の接木の遊びについてもひとこと。 個展用に花の種類が欲しくなって、埼玉の石井さんに相談したら、早速送って下さった穂が8本ほどあって、それを「みわく」を中心に各種4本ていど合計80本ほど接いでみた。これも作業性を考えて、ちょうど胸あたりの高さにした。腹接ぎなものだから、上に元気の良い「みわく」の芽が吹き出すと、つい切り捨てきれずにそれも1本ぐらいはよかろうと思って伸ばしていると如何にも弱々しい芽が、「みわく」の芽を気兼ねしながら、辛うじて活着の合図をしてくれるに止まるのだ。しかし、この方法 は間違いなわけで、 腹接ぎの穂がまもなく枯れることがなければ接合部から上はバッサリと切り捨て御免にしなければいけないのだ。その結果、時期の早い遅いはあったが、チェリオやレディベルバーとかピカデリーなど特徴ある花容を見せてくれた。

 「みわく」に接いだ理由は春がダメ花だから、春は他の花を見て、その後、接いだ部位の下を切って「みわく」を出させる魂胆なのであるが、(これは先の5月号で述べているが) 新しいこれらのせっかく接いで咲いてくれた花とはっきり決別できずに、いまも悶々としているのが正直のところであり、自分の思いきりの悪さを自嘲しているところである。「みわく」の身になってみれば、散々痛めつけられた上にまだ真打ち登場にもさせてもらえず、中途半端になって「いったい俺はどうすりゃいい のか」とばかりに、怒っていることであろう。こんなわけだから、今年の 「みわく」は存分に働いてくれそうにない。

 次はマダムビオレをマダムビオレに、レディマリーはレディマリーにということ。何を言おうとしているのか。この共通点は1つはステムが高く高くそびえ、下がさびしくなる傾向がつよいこと。2つはシュートの出が悪いこと。(これはあくまでわがばら園ではと限定することにする)そこで、この欠点を補うために途中シュー トと同じような新芽を出させるように地上10cmあたりに腹接ぎしたらどうなるであろうかということである。

 特にレディマリーはトゲが多いので、作業が難いし、もし活着しても上の勢力の強い部位を切ったあとだから、その勢いに伍するに足る樹勢になってもらわねば困るわけであるが、果たしてどうなのだろう。この試みは7月に入ってから数本やってみている。これも更なる後日談が必要となろう。

 7月に入って紫野に腹接ぎしたもの

 (H11. 7. 8記)

ばらとイチゴ

 去年の秋も終りのころのことである。仕事の延長でイチゴ農家を訪ねたときにヒョンなことからイチゴの苗を2株貰うことになった。農家の人がわざわざ上げると言うのを断ることも出来ず、軽い気持ちで貰って帰ったが、育てるといってもズブの素人だし、ただ枯らさずにおけば何とかなるだろう位に考えただけだった。

 ちょうど2株がおさまりそうなプランターがあったので、略式にそこにそこらの適当な土を入れていい加減の潅水を施し、いけ込んでおいた。こんなことでイチゴがなるわけがないと半ば否定的な感じであった。ただ、肥料だけは営業用のぼかしをしっかりと与えておいた。

 2週間ほどが経った。ところが、苗がよかったのか、肥料がうまく利いたのか、グングンと成長し花芽がついてきたではないか。このときわたしはイチゴに対していい加減な扱いをしてきた反省と、もっと真面目にやらねばならない自覚が出てきたのである。

 それから、イチゴの勉強を始めた。そして偶然と言うか、幸運と言うか (いまさら恥ずかしながら)イチゴがばら科の植物だということがわかった。そのとたんに急に親近感が出てきて、ばら一族として扱う気持ちになっていった。北国のはまなしと同じようなものじゃなかろうかと思えばいい。

 それからプランターから、十分土作りをした畑地に返してやった。また、2週間ほどが経った。うれしいことにイチゴが2つ3つ色をつけて収穫できそうな気配がしてきたではないか。

 しかし、そのころはすでに寒くなる気候で露地ではとても引き続いてイチゴがなってくれそうもなかったので、今度は再度プランターに鉢上げし、ハウスの暖房の中で育ててみようと言う事になった。(このように定見なくいつもフラフラしているのがわたしの本性であります)ハウスは今年は1サイクルだけ、つまり秋の2番花まで暖房を焚いてみる積りだったので、その1面をかりて栽培のまねごとをしようということになったわけである。果たしてうまくいくのだろうか。

 通路幅1メートル、畝幅1メートルの境界あたりをちょいと借地して始めたところが、花芽がどんどん出てきておどろくばかりとなった。交配に必要な蜂がいるわけではなく、いたずらするように指先で花に触れる程度でお茶をにごしたが、結構実をつけてくれた。それに100%の有機栽培なので格別美味である。

 病気はばら族らしく、強敵はやはりウドン粉病で、これがイチゴでは果肉にくるので、やられると農家は大変な打撃をこうむってしまう。ばらでのウドン粉も葉を委縮させ、美観を大いに損なうので打撃であるが、イチゴではそのくらいではすまぬもっとも恐ろしい病気のようである。他にダニもイチゴの葉が地を這うので噴霧が効きにくく駆除がし難いようであるが、 ウドン粉病ほどではない。今年はダニは来なかったようである。割にかかりにくいのかもしれない。

 消毒はどのくらいやればよいのかについては、農家では適確に答えてくれない。定期防除しているのか。罹病したときに消毒するのか。ウドン粉病の怖さからすれば 多分前者ではなかろうかと思う。

 さて、前置きはそのくらいにして、偶然ではあるがイチゴというばら科植物を見つけたついでに、毎年春、秋2回おこなっているばら個展のハウスの道案内に使ってみたらどうなるのか考えてみた。通路は幸いにして広く取っているのでイチゴを畝との境に植えてもほとんど邪魔しないだろう。問題は消毒である。ばらにできてイチゴにできない消毒液があるのかないのか。計画は夢となってどんどん大きく膨らんでいく。

 希釈倍数はいまのところ、オルトラン、スミチオン、ダコニール、サプロール、ポジグロールなどおしなべて 1,300倍、1週間~10日間隔でやっている。やや濃く若干薬害気味なのでそれを1,600倍、1週間間隔厳守でいってはどうか。 多分行けそうだと思っている。

 イチゴは5月に入り、あたたかくなると花芽にならず、つるになって伸びていく。農家に教わりながら、つるを子孫繁榮のランナーとしてポットに新芽を鋤けてやるとどんどん増えていく。我が家の苗はいまはまだ貧弱だが、当初2本だった株からいま120鉢も出来ている。この120鉢を通路4列に30株宛植えこんでいく計画である。秋のばら個展には間に合わないが、1月末まで暖房をするとして2回までのイチゴ収穫を楽しめる計算である。

 いま、イチゴをこのようにばらと共存させて栽培しているところは聞かない。ばらもイチゴも遊びでやっているからできるわけで、それぞれかどちらかを経済性で考え出したら効率的に大いに無駄を伴うはずである。

 ばらを趣味に展開してきたのがいつの間にかイチゴに転移してしまって、あいつは何やっとるのかわからん。という声も聞こえてくるようでした。しかし主役はあくまでばらでありますぞ。

写真はハウスの一角にところ狭しと繁茂したイチゴのランナー苗。
手前マダムビオレ、先コンフィダンス、シージャック

 いちご苗の乱舞

〈H.11.7.10記〉


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