南國のばら作り、あれこれ 6月

鉢のまま地植えを

 1昨年、北海道展に参加したとき、真柄さん宅、落合さん宅のばらが大きな鉢に活けられていて、それからそのまま露地に活け込まれていたのは非常に参考になった。

 鉢の苗はヒックリ返せば白根がビッシリ巻いているし、それが鉢の下部の穴から水を求めて力強く下りて行っている。植え替えのときに鉢から取り出すよりもそのまま地植え床に活ける方が勢いが出るのではないかとその時ふと思った。

 一般的には地植えの時には窮屈な鉢からゆったりした植え床に解放してやることこそ栽培の常識だということになっている。

 今年も深さ60センチメートルの天地返しをやって新苗の定植をしたのだが、余り苗があったのでその傍らにプラ鉢のまま1/4ほどの深さに埋め込み放置しておいたところ、意外にも定植した常識的方法に遜色しない成育状況となった。

 プラ鉢の底部は細い扇形の空隙があり、そこから根が地下部に伸びている。プラ鉢は鋏で切っても簡単にはいかないほど固いので、このまま来年度も育てていると定植したものに樹勢では追いつかれるかも知れないが、苗半作と言われるように、初期成育が最も重要であることからすれば、白根を傷めないで鉢のまま植え込む本法の方がベターなのではないかと思うようになった。

 勿論、根痛みを避けるためには鉢の底部を放射状に中央部から切り開いておくとか、ポッカリと開口するとか色々あろうが、苗のしっかりしたものを作るためには一旦鉢で育て上げる。そして白根を十分出したあとで鉢のまま植え込むなども応用動作として十分考えてよいことではなかろうか。

 なぜこういうことをクドクドいうのかもう一つの根拠がある。

 それは私の昨年の植え替えに際して、最も元気の良かった苗をハウスに新植したにもかかわらず、最も成育悪い状態になってしまったこと。 これは結果から言うと、いわゆる嫌地現象とか、灌水不足とか挙げられようが、最も大きい要因が嫌地現象とすれば、定植する鉢の近辺をちょっとだけ新しい用土に変えるだけで十分のはずである。

 また肥料はボカシ肥料をときどき10日間隔位で鉢の上から大さじ一杯くらいを添加して十分である。手間もかからなくて済む。

 新植のときの灌水も鉢の上からこぼれない程度にやるだけで十分根に伝わることは植木鉢の理屈と同じであ り、施肥や灌水の定量的管理が行えて非常に有用である。

おおい先輩の方たちよ

 もう私も58歳だ。この頃になって、モノ書きのエネルギーについて思い続けているのは、年齢との相関性である。いまのエライ諸先輩方は本来なら経験も熟し、いろいろ後世に「遺言」として残しておくべきばら道があるべきである。なのに、もうそんなのないよというように、おしなべてモノ書きをしなくなるようだ。なぜだろう。

 昭和30年代のばらブームを反映して数十年のキャリアをひっさげておられる方はいろいろ問いかけをすれば必ず定見をお持ちの方ばかりである。そして以前は「今は仕事で忙しいが定年になったらどんどんモノ書きしてやるぞ」と意気込んでいらっしゃった(かのように思える) 方々である。不思議だ。

 かくいう私も以前は何か書かずにおれなかったが、次第にわずらわしくなって一応はノートに書くが没にしてしまうことが多くなっている。例えばその最たるものが1997年北海道全国展での「みわく」についてのレポートである。もう気の抜けたビールのようなところがないではないが、改めて記事にさせていただく。私ごとだがこのような没記録は例えば手紙である。便箋に数枚、時には十数枚、宛名まで書きながらずっとカバンにしまい込まれているというのが何通あることか。ある人に手紙の上での話をする。一方的に話してしまえばそれでお終い。何か変なのである。

 さて、話は戻るが、先輩方が何故書かないのか、あるいは書けないのかは思索の停滞、栽培作業の意欲低下減退、時間があり余っていそうで実は時間を作れない、またはちょっと生意気な言い方をすると、ある程度ステー タスに上りつめたため、変なことは書けないというゆがんだプライドということもあるのだろうか。とにかくあまり芳しい根拠には思えないフシがある。

 以前は、相手かまわずケンカを売り、因縁を吹きかけて議論していたような方がいつのまにか丸くおさまってしまったかのような感じさえする。どうですか。諸先輩の方々よ。残された歳月はそうないはずです。もう一度昔の若さに返り、甲論乙駁の世界に回帰されませんか。いまはワープロとかファックスとか文明の利器があって、紙上討論とか質疑応答には事欠かない手法がたくさんありますよね。そうすることによって最近のような面白味のない「ばらだより」にならないですみそうな気がしますが如何なものでしょうかねェ。

北海道全国展に参加して

 ことしの「ばらだより」5月号に北海道全国ばら展要領が掲載されたのを受けて、我等が領袖上森氏から「今年の北海道展に何とかしてばらを持ち込めないだろうか」と呼びかけがあり、この6月29日に研究会の開催となった。そこで、九州の夏花を持っていくにはまず、目的意識をはっきりさせておこうということになった。

 まず、参加することに意義があるで行こう。今回のように北海道と九州ではまったく花にはならないが、夏花でもいい、1枝でもいい、会場に各地の花というくらいで参加しよう。そして1種目でもいい、できればコンテストに参加しよう。そして万が一でも九州から未席の1つでもいい、入賞できれば素晴らしいことではないか。それに色々の知識が習得できる。今までに考えてみたこともない9月末に花を咲かせるには剪定はいつで、この夏花の季節にも少しでも可能性のある品種はどれで、7〜8時間の輸送の道程に耐える品種は何か。また採花のタイミングは?等、貴重な体験となる。以上のような目的の確認のもとに、パンクした満開花でもいいから必ず花はもって行こうということになった。

 次に品種は何が良かろうかということになるが、何といっても魅惑(と書くより、「みわく」がふさわしいようだ。)である。これしかないのではないかというのが大方の見解であって、続いてメルヘンケニーギン、 あけぼのと挙げられたが、みわく以外の支持率は低かった。それとどれを持っていくかはそれぞれお家の事情もある。 結局、各自の判断にまかせることにした。上森氏はシージャックの生みの親でもあり、飽くまでもシージャックをこだわり通すということだった。九州は熊本の南から、北は関門までかなり開花日数も異なるので、一応、35日前後数日が剪定日だろうとの結論になった。

 さて、仕立て方であるが、これまで同様に行く以外はないが、コンフィダンス、シージャック、メルヘンケニーギンについては7月初旬に切り戻して、2度ピンチして咲かすか、7月20日頃に切り戻して1回ピンチで咲かすかいずれかでいこう。あけぼのはこの方式が有用かどうかまだ結論が出ていないので、各氏とも切り戻しピンチ方式か、従来方式か、混用かでやることになった。問題はみわくである。みわくは夏の樹勢がことのほか強じんで、それをどのようにして剪定時期までもっていくかが議論の分かれるところとなった。結局、樹の状態がそれぞれの土壌に依存することも考えられ、結論が出なかった。これについては、あとで詳しく記してみたい。

 九州から夏花を持って北海道深川に乗り込もうというバラキチは4人いた。南から熊本宇土某氏、熊本南関の某、福岡の某氏、福岡門司の某氏である。しかし、それぞれの持っている条件は必ずしも恵まれてはおらず、熊本宇土の某氏は今回は右足薬指を骨折して、ビッコの状態だったので持ち場のばら園が春からウドンコ、黒点のオンパレード。そのため10号鉢を15鉢での勝負という制約があった。熊本南関の某はばら作りに致命的なセンスのなさを自認していて、いくら頑張っても結果が出ない。今年あたり、案外ダークホースかも知れないと下馬評は上がっていたが、土とか気候条件が悪いとかぼやいてばかりいる。福岡の某氏は2年前、ひどい腰痛を罹い、これから先のばら作りは省エネ、手抜き、昭和枯れすすきに徹しようと全面改植をしたが、その時の客土が悪かったのと、新苗を根切り虫の大群にやられて、2年目の今年も全く成育不良で弱小ステムばかりで、到底コン テストには耐え得ないが、花だけは持参するということだった。また福岡門司の某氏にいたってはウドンコはいつも養っているし、例年6月末にはベト病の洗礼をうけるのがならわしとなっている。更にコンフィダンス、シージャックの元祖だけあって、コンフィダンス、シージャックには異常にこだわるが、他の花にはあまり執着がないという欠点もある。ことしもシージャックだけである。それでも十分通用することを証明したいのよという返事である。

 さて、全国展までの手入れの状況、開花の状況を各氏から聞いてみると、いままでやったことのない夏剪定の開花のため時期の外れが相当にあって、約2割程度の開花でしかなく、その中から佳花があるかないかという効率の悪い結果である。しかも、それから7〜8時間の旅行に耐えられるかのサバイバルが待っている。

 九州勢は早い者は当日2〜3時の採花や、前夜の採花など色々で、この日はそれぞれ家を5〜6時頃出発して 板付発9時ちょうどの飛行機に乗った。千歳空港からJR深川駅に行くまで1人だけは予定通りの到着となったが、残りの3人は14時01分の到着となり、駅から会場へ、そして出品となるとそれこそタイムオーバー。 もう全員飾り花でいこうと諦めていたところ、居合わせた数人の方が折角九州から持って来たのだから皆で加勢をするから1種目だけでもと、大勢の方のお手伝いを頂いて、やっと1種目ずつ出品できた。この間実に数分の離れ業。出品が終わった時、九州勢全員がコンテストに参加するという目的が達成できた充足感で一杯になった。そのとき、お手伝い頂いたみなさん、ほんとうに有り難うございました。

 結果は、みわくを持参した熊本勢が2位と4位。 みわくのなかった福岡勢は6位と全員がかすりながらも入賞して2重のよろこびをかみしめることができた。夏花ではあったが飾り花も2盛り九州の花として飾っていただき、コンテストにも参加でき、思い出多い北海道全国展を体験することができた。

 しかしながら、北海道の花には到底及ぶべくもなく、芯の高さ7.5〜8センチはあろうかという堂々とした花容には全く感服した次第である。これは翌日の落合深川ばら会長宅や真柄氏宅のお庭拝見でもハッキリと裏付けられており、日常のばらに対する考え、思い入れが伝わってきて、非常な感銘を受けた。われわれの多くは根からの栄養吸収はこれこれこうしておけば、一応前提条件は満たされており、あとは地上部の問題であると考えてきているが、むしろ、地下部こそが源であるというイメー ジが伝わってきたのである。その意味でこの試みはセンセーショナルであり、無論そのために地上部をおろそかにする訳ではないが、九州でもこの手法を是非導入し、大きな美しい花に仕上げる方法として試験してみたいものだと思った。今後のご指導をお願い致します。

 もう一つ、度肝を抜かされたのが、翌日のお庭巡りのあとの深川を山一つ越えた漁港増毛の「まつくら」での昼食の超豪華なメニューである。バスの中で落合ばら会長から今日の料理には活き物以外はお出ししませんと注釈がついていたが、北海の生の活魚、貝柱、いきえび、タラバガニ、あわび等々テーブルの上に箸の置き場もないくらいに並べられ、北海の珍味、鮮味のせて膳にあり、また土鍋の汁のこの世のものとは思えない味、焼きタラバガニのあばれ喰い等腹一杯に堪能させていただいた。また甘エビのすしもおいしかったこと。2〜3日分は腹にためこませて頂きました。深川ばら会の心つくしのおもてなし心に滲みて感謝申し上げます。

 最後にみわくの特徴について書いてみたい。みわくは夏花としては唯一無二の花ではなかろうか。これがなくては、コンテスト花として北海道遠征は考えられないほどにみわくは魅力のある花である。4年前、宇部の九州支部展で某氏が出展したときにシンが伸びていないということで、1位になれなかったことを思い出すが、あれはまだ魅惑が市民権を持っていなかったからではないか。夏はすべての花は弁が伸びずに滑稽な花型で見るに耐えないが、この魅惑に限っては堂々と弁もヌビてくれる。それに開花のサイクルも早いのは30日足らずで咲くこともある。有り難いのはトゲが少ないこと。株の根本は小さいトゲがびっしりあるが、上部の葉柄の部分は無いに等しい。レディラックほどではないが、白鳥とか初恋とか皆同じ傾向である。

 しかし、いい面ばかりではない。たとえば剪定した頂部の葉柄からの芽伸びよりも第2葉柄部からの芽の成長が旺盛な、いわゆる負け枝現象が多分にある。そして、樹勢が非常に旺盛のために枝をしょっちゅう管理しなければ、すぐに鬱蒼とした森になってしまう。花枝が負け枝現象を伴うものだから下から下から出てきて、あれよあれよという間に主客転倒してしまい、あとから出た枝がJの字型で下から短足でノッソリ邪魔をする。

 また春はダブル現象いちぢるしく、色が悪い上に花型にもならない。だから春の花をみてこいつは駄目だと淘汰してしまうことが多い。これまで何本捨てたことか。また葉が大きかったり、時に小さかったりするが、大体花とのバランスは無難な方ではなかろうか。花足は咲きかけまでは早いが、花弁が3分から5分になってから、ちょっと動きが止まることがある。某氏のことしの北海道の出品花等は8時間の道中に完全に耐えただけでなく、その前日10時の採花だというから驚きである。であるから、北海道など遠距離移動にも耐えることが出来る。独特のピンクの覆輪は昼と夜の温度差が大きく、昼間にちょっとの光が当たればそれで十分のようである。肥料は樹勢のつくまではタップリ与え、成木になれば少量を、切れないように、しかし決して多くは与えないように。つまり低成分の442といった長期持続性のヤマの来ない完全ぼかし肥料が効果的ということになる。ステムは概して短足である。しかし、花の色は長くとも短くとも関係なく良いのはいい。枝は非常にクセがあるために、開花の時期がバラバラである。36日もあれば咲くという意見があれば39日はかかるという人もいる。弁は強い方だか弁数は少なくて30位だろうか。これまでみわくは審査が始まる頃まではダブリは発見できぬが、花が過ぎていくうちに必ずと言ってよいほどに本性が出てくるゴマカ化し花と見られてなかなか馴染めなかったが、最近はウルトラ芯もときどき見かけるようになった。芯は九州でも6.5センチ以上になることがある。みわくが文字通り市民権を得たことになる。ある人からお前のところの土はどうもみわくに合っとるようだと言われたことがある。樹勢は確かに強健で株から15センチあたりから剪定してもショックどころかモリモリ勢いよく新芽が出てくる。あまり勢いが有りすぎると嫌になって「切り捨てごめん」を繰り返してきたが、ここに至って考えてみると栽培する当人の工夫が足りなかったわけである。捨てた樹をもったいながっているこの頃であるが、よくあることである。

 寺西審査委員長からの審査講評のときの注文で「ばらだより」に投稿することになったが、九州の4人のメンバーが揃って入賞でき、一番入賞の危うかったものが「あんたは書くだけ」から「作るほうも少しは」というレベ ルまで評価していただいて、この全国展は忘れられない思い出のものとなるであろう。

(平成9年10月8日 記)


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