南國のばら作り、あれこれ 10月

ばら愛好家への思い入れ 期待と落胆

 わたしの住む南関町は熊本県の北端で荒尾市、大牟田市をお隣にひかえているが、この地を中心としてばらの集いがある。ときどきそこに出席して見知らぬ人をつかまえてはいつも尋ねてみたくなる事がある。こちらはせっかくの時間に来ているのだし、退屈しのぎにあちこちに話し掛けるのであるが、何本栽培しているか、どのくらいの広さがあるのか、始めて何年になるか、消毒はやっているかなど誰しもが好奇心をもつことである。

 そのなかで一番感心があるのは可栽培面積であろう。そして年齢である。子育てが一応終り、50歳前後の主婦だ。旦那であればなおさら結構な事だが、大抵の場合、男性から入ってくるのはまれであって、入っても長続きしないとみている。 (とすると、われわれ如き細君はただ切るだけという男花狂いはどう考えるとよいのかと思うが)

 「広さだけならいくらでもあるんですがね」という答えががかえってくると、次に何本栽培しているかと聞く、「20本ていどでしょうか」うんうん、何年ですかと聞く、「もう10年以上になります」という返事がある。ああそうですか、とサラリと一応は聞き流すが、ここまで聞くと、これはヒョットしてと思い、もう気持ちはすっかりハイだ。一度お邪魔さしてもらっていいですかという仕儀となる。「ええ、是非」という返事を確かめてからしばらくして休みの日を利用して行ってみるのだが、九分九厘、ああ又かとがっかりさせられる。

 荒尾市の郊外に住むMさんは過日、娘さんを連れてわたしの個展を見に来てくれた人であるが、それまでは面識もなかった。行ってみると、なるほど敷地は広大でゆうに300坪はあろう。そこにありとあらゆる花ものを雑然と植えてあり、肝腎のばらはあちこちに20本ほどばらまかれて植えてあった。その2/3は草負けして小さい株のままであり、1/3が草に勝って大株に育っていた。名も知らない品種のなかでメルヘンケーニギンの大株を見つけたときは、これはどこで手にいれたのですかと思わず叫ぶように尋ねたのを覚えている。

 5月中旬というと、まだ消毒しなくとも葉はついているが、それでもすでに黒点病はきていて、このままだと6月に入ると、葉が落ちてしまうなという感じである。今からなら何とか間に合うと思いながら、さてどう切り出そうかと思った。

 春のこの時期に草負けしても何年もこのままだという株はもう捨てたほうが早いですよと言うと「でも、愛着 があって捨てるなどとは・・・」という答えが返ってくる。消毒はどのくらいしますかと尋ねると、「年に3回ぐらいでしょうか」 夏の葉は全部黒点病で葉が落ちてしまいますよと言うと、「ええ、でも娘が消毒をいやがりますから」。せっかくの花がかわいそうだなあ。娘さんを説得してせめて10日に1回、ばらだけは消毒するようにしたら随分よくなるのですがねえ。「ええ」。それに潅水もたりませんね、そのために成長が止まっているようでもありますがねえ。 (ほらほら、だんだん押し付けがましくなっていく。わたしの欠点だ。) 「自然まかせです。人力で水遣りをしたことはありません」。わたしだったら、 ばらはばらだけ集めてまとめて管理しやすいようにしてなるべく省力できるようにしますが(こんなノーサンキューといわれる言葉を言うなっちゅうに)「はあ」。この際ですから小さい株は全部更新したらどうですか。品種にこだわりがあるのなら、それを接いでもいいじゃないですか(ああ、ますます状態が悪くなっていくっちゅうに)「ええ」。

 そろそろ夕闇が迫り、蚊が出没してMさんを集中的に襲っている。そうしたところにMさんのご主人が仕事から帰宅。挨拶の後、最後の駄目押し、ひとつ本格的にご主人も一緒に始められませんか。これだけの敷地があるし、もったいないですね。(構うなつちゅうに)「全部、女房任せですから、植え替えとか、耕起など頼まれたときに手伝う程度です」

 と、こういう具合に2時間ばかりが過ぎていった。土はこの地が梨の新高で有名なところであるだけに、赤土の最高の場所である。Mさんが勤め先からコーヒー粕を都度もらってきては置き肥えにするので、ちょっと手を加えるだけで理想的な植え床に仕上がるだろう。もう薄暗くなったし、そろそろ帰る時期が来ている。もっと突っ込んで話しをしたいと思う反面で、もうこれ以上踏みこんではいけないと思った。ひと通りの仕立て法、消毒法について講釈して辞去した。

 どだい、わたし如きのレベルに近くバラキチになれる人はどれくらいいるだろうか。よく、自分の尺度でものを測るなと言われるが、いつも夢を見ながら、生きているものだから、尋ねて行っては徒労にちかい状態で終ってしまうのが常である。バラ熱症候群第1期に入る人はそうザラにはいないのだと思う。

 そして、いつも帰るときには自分自身をなぐさめるために次のような言葉を吐く。「消毒が出来ないのならば、春だけの花を楽しむ事になりますが、ばらの楽しみ方は人それぞれですから、それでもいいのだと思います。 あと、なにかあったらいつでも電話をして下さい。」

 ばらの指導をするときは女を口説くのと同じかもしれないなぁ、相手にもいろいろ制約があることだし、どんなに上手な宣教師が説教してもたぶん結果は同じなんだなどと自分をなぐさめながら、帰路につくのである。

 ばらを好きな女性は多い。 社交辞令句を入れると90%以上はいるだろう。しかし、問題はその好きだという人のありようである。 どんな状態の花が好きか牡丹のようにヘソを出して散り行く直前の風情がたまらなく好きと言っている人もある。

 そういう人を前にして、「ばらの本当の美しさはこんなですよ。この花を見て下さい。色や葉やステムと花の調和や何よりも花の独特の形の良さ。その上に妖しくも美しい構えが言いようなく迫ってくる様はどうですか。凄いでしょう。今年咲いた中では最高の部類に入るのですがねえ」とやや押し付けがましく説明するのだが、「あまり美しすぎるとかえって窮屈に感じます。もう少しばらにもファージーな部分があっていいのではないかと思います。オールドローズとかミニとかパティオとかそんなものも十分美しいのではないでしょうか。だから、そう片意地張って完璧なばらを咲かせることもないんじゃないでしょうか」という言葉が返ってくるのである。「ダニだ、ウドン粉だ、ベトだ、 黒点だと毎日気配りしながら栽培するより、もっと肩の力を抜いて付合ったらどうですか」 と言っているのである。

 わたしはそんな人たちと敢えて議論しようとは思わないが、間を置けばひょっとしてばらの美をちがった見方で開眼し、 第1期ばら熱症候群に罹病する人がいないのかじっと待つのである。

(99. 7.16 記)

ばらと陶器の個展

 日頃丹精した趣味のばらを切花で花入れに飾る。それを見ていただこうというわけである。

 いまの各地のばら展では花器によってばらの美を引き立てさせたり、花器との調和を考えたりすることはあまりないようで、ほとんどすべてが三角フラスコ、ジョッキの世界である。ところが三角フラスコに3本花を固定し、出品しても、審査の際に固定したところがゆるみ、折角の組み花が台無しなってしまうことがある。それは固定のしかたが悪かったのであって作品のせいではない。要するに3本組み花をフラスコに固定することもコンテストの腕前の中に入ってしまう。

 1本花、2本花にしても三角フラスコからの呪縛にある程度開放されるが、完全とはいえない。ではなぜコンテストに花器での出品が許されていないのか。それは多分出品条件の平等性だと思う。

 わたしが個展を始めたのは、実は花の出来を披露するよりも普段は段ボールに詰められてお蔵に入っている花入れとの逢瀬を楽しむ動機の方がより強かったように思う。

 ばら展で使われるフラスコはどう考えてもばらには不似合いでずっと抵抗があった。 それというものわたしが以前から収集していた花入れの活用を考えていたからかも知れない。

 ばらを始めるころと前後して収集を始めた陶器の花入れは100筒ほどになっていた。もちろん、サラリーマンの貧乏世帯のなかである。高価なものには手が届くわけがない。 (一つだけ自慢しているものがあるがこれについては別の稿に書いた。)

 大体、花入れの価格は大きさで決まっている。 小さいが焼きがすこぶるいいのがわたしの掘り出し物の範疇に入る。なぜなら、小振りであるが故に作家はよほどの出来でなければ高くつけようがないらしいのである。逆に、大きくて焼き上がりが悪く、「こんなものが・・・」というものも値段だけは高くついていることがある。

 ばら熱症候群が段々進むにつれて焼き物探訪も次第に遠のき、今では誘われて始めて行く程度のものとなってしまった。そのころの想い出の陶器は忘れかけられ、今では倉庫の段ボールに眠ったままになっている。

 自分の足跡をたどろうとする時、ばらであり、花入れである。ここで個展という発想が生まれたのである。であるから、 (わたしの作った) ばらと (わたしの集めた) 花入れの個展というのが正しい。

 第1回は平成6年秋に行っている。第3回までは秋だけにした。第4回から春秋2回にし、第5回までふるさとセンターという公民館を使った。 第6回平成10年春からは自宅で行うようになった。

 個展とはその人のパーソナリティを披瀝する場所である。だから自分の裸の姿をさらけ出すことになる。

 ばらの美を相対的にでなく、絶対的に見てくれる人は専門的にやっておられる方以外にはそういないだろう。だから、個展と言っても「ああ綺麗だこと」ですむ場合が多い。しかし、ここで妥協しては良くない。つねにベストに近い状態のものを出品するように心がけねばならない。

 個展はまず花器の配置から始まる。個展の前日、自宅の4部屋と廊下にテーブルを準備し、そこに並べていく。花入れの大小、焼き具合、色のバラエティを考慮に入れて適当に配置させていくが、これは生け花の先生の独壇場であって釣り合いを見てはっきりとあれはここ、それはそこと移動の指示が飛ぶ。で、前日の夕方から夜遅くまでかかって仕上げる。そして、まず「花入れだけの個展」が行われる。年に2回の懐かしい対面だ。

そして、翌朝の花活けの作業である。睡眠不足だが、気分はすっかりハイになっている。ハウスをのぞき、あ る程度予定していた花を切っては部屋に持ち込む。わたしはいけ方が下手であることもあって、作る方と活ける 方は完全分業である。

 「お父さん、一番ご自慢の花を切ってきてください。床の間に飾りますから」これは息子の義母の声だ。毎回、北九州市から来てくれており、もう3年になる。生け花の先生で、デコレーションは任せっ切りにしている。

 最初の頃、こういうことがあった。ある人を介して小原流の免状を持っているという先生に花活けを頼んだところ、ばらの半分以上を花首からもがれてデコレーションとなった。私の意図するところと大きくちがった個展となったが、これなどばら展というよりさながら○○先生の生花個展であった。はじめによく打ち合わせをしなかったわたしにも罪があると反省している。

 ばらの特徴を出し、しかも花器との調和を図ってくれるように先生方に頼むようになったのは、そう言う苦い経験があってからである。

 だが生花の活け方とコンテストの活け方は全然違う。どちらかと言うとわたしはばらの姿、色の特徴を形式に捕われないで、ある程度ファジーに表現できる意味では前者に面白さがあると思うが極端過ぎると大変だ。

 いい勉強になるからと言って毎回3人来てくれる生け花の先生方はいまもまだばらの (コンテスト流の) 美の表現がよく理解できていないようである。「在る物を見繕って活ける」 自然流の精神からすると、「どんなばらでもそれなりに最も美しい特徴を生かして活ける」ことが優先されているからかも知れない。だから、コンテストには使えない花も立派に一人前として通用するのだ。

 春秋を通して個展はいつも活躍してくれる花はメルヘンケーニギン、あけぼのである。コンフィダンスやシージャックはいつも期待はしてはいるが、ハウスに谷換気がなく、温度が抜けきれない欠陥からか、花が小さく、自慢して展示できる作品にならない。次回こそ、次回こそと控えめに飾られる。

 みわくは春はまったくダメで秋に気を吐くだけ。うちの香久山は色が出てくれないので、出品が恥ずかしいほど。ガーデンパーティもそうだ。ハウス花ではないようだ。ノービーは花がちょっと小さいが、いい役割を果してくれる。マダムビオレはどう工夫しても花が小さい。露地に移すと色はよくなるが依然小さい。樹勢でいうと、武州、ゴールデンハート、フロージン'82である。5〜6年の樹になって、風格が出てきた。ただ、全部遅咲きなので秋はそこそこ咲くが、春は時により来たり来なかったりである。意外に喜ばれるのはラブやジュリアである。それに春に埼玉の石井さんから頂いたチェリオがいい。だから個展をはじめてから次第にコンテスト花が押されていく。

 個展で最も気になるのは開花のタイミングである。自宅開催でハウスも開放となると6分咲きくらいのものが良い。ちょうど花が間に合えばよいが、秋は問題ないにしても春は難しい。早咲と遅咲きは1週間以上も違ってくるので、日程を遅咲きに合わせて早咲きの花は保管する必要がある。そのため、冷蔵庫を購入した。出展花は300本程度が普通である。

 また良花がどれだけ咲いているかである。自分の気に入ったものが1本だけでもいい。あればいいが、なかなかそうはいかない。かと言ってただ咲いておればよいというわけにはいかない。どこの誰が見ても一応の水準にはあるという花を展示する事を目標にしているからである。種類もある程度揃えたい。

 個展を始めてから、昔栽培した品種も欲しくなって現在では約70余種になった。全体栽培株数400株の中で約半分が個展用の「遊び花」である。

 またハウスではどうしても咲かない品種、たとえば、丹頂、アルテス'75、ダブルデライト、ガーデンパーティ、クリスチャンディオール、ロイヤルハイネスなどは全部、露地に移して作り始めた。たかだか40余株だが ハウスと比べて2倍以上は手が掛かる。

 1998年秋から、大牟田市在住のY氏の好意で備前焼きの高名な作家物も展示することになり、「ばらと備前の調和」として約50点の出品協力してもらうことになった。個展開催にさらに強い味方ができた。そのかわり高価な花入れの管理をするのによそで一泊はできず、自宅開催に踏み切った。これだとハウスも開放できて一挙両得である。

 先に、個展準備のために前夜に花入れだけの事実上の陶器展を行うと述べたが、特に備前が加わることになっ てからは実に壮観となった。南関町の片田舎でこんなぜいたくをして良いのだろうかと思うほどもったいなく、 この瞬間をもっと多くの人たちに見てもらえないか、と切に思う。

 備前50点、その他で50点の構成になったときに驚いたことに出展の花数がめっきりと少なくなった。300本以上のものが200本以下ですむのである。これはどういう理由か分りにくいが、多分、備前焼がばらとよく調和するために少ない方がより引き立つからであろう。現に15本や20本は普通なら挿せる大型の花入れでもせいぜい1〜2本止まりですむのである。

 出来のいいばらはすっぴんのまま、ほとんどお化粧もしないで、どんな花入れに挿しても他を圧倒することができる。面白いのはこの最も美しいばらが1本数十万円の花器に飾られると、もうこの上ない美の極致になるかということ。たとえが極端過ぎて当らないかもしれないが、今様で言うとせっかくの美しい女性が、もっともっと美しくなーれで、厚化粧してどんどん品を落としていくこともあるではないか。美の表現とはかくも難しいものである。

 一流の花を一流に引き立てさせるのは俗に一流の花器では合わない場合がある。一流は一流だが少なくとも花のイメージは全く違うものになる。色合いや形の違った花器を数本準備して挿してみるとはっきりわかる。不思議だ。

 ここに、ばらと花入れとの調和の問題が興味深く迫ってくるのだ。

 秋の個展はハウスからの取り立てを手渡しで活けてもらえるので有りがたいが、 春の個展は一部は冷蔵庫から 出してくるので、取りだし損ねてあとでレディラックはこの方が良かったのにと思うことがある。しかし、残り花で普通なら捨ててしまうものを綺麗に飾ってくれるあたりはさすが生け花の先生だとつくづく感心させられる。

 飾りつけが2時間ほどで終わると、前夜見た焼き物展とは全くちがったイメージの本番の個展の準備完了である。

 花の出来が良くても悪くとも春の2日間、秋の2日間はわたしにとって、俗界の諸事を完全に忘れ去った「天国の人」である。個展が終了するとその反動で激しい寂寥感が襲うが、そのときばかりは次回に向けて新たな希望目的が湧いてくるまで耐えなければならない。

 このように、個展はいまやわたしの余生にとって密接なかかわりを持って来ている。ハウス60坪、露地15坪の恵まれた環境でどう遊ばせてもらえるか、田舎だからできることである。いまのところの個展開催が以後どういう方向をとるか自分自身でもわからない。多分あと何年元気な体でいられるかということと同じテーマであろう。

 因みに今年秋の個展は10月30日 (土) 31日(日)の予定で ある。

以上 

〈H.11.7.24 記〉


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